どうも、こじです

 

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過去

誕生~学生時代

 

生まれは「岩手」、育ちは「東京→茨城→神奈川→千葉」と、まぁまぁ移動してます

家庭はごく普通のサラリーマン家庭です

大学まで行かせてくれたので、恵まれているほうだと思います

 

過ごした時間が多いのは茨城です

ここで「幼稚園→小学校→中学校→高学校」と育ちました

 

記憶があるところだけざっくり語ります

 

幼少期:岩手~東京

 

生まれは岩手、母親の実家で生まれました

その後、幼少期は東京で過ごしたらしいですが、記憶に全然ありません笑

 

母親が言うには、ミルクをまったく飲まなかったり、停車して発車しそうなバスの前に飛びだしたと、とても手のかかる子だったらしいです

立派に育ててくれてありがとう母よ

 

ただ、幼稚園のころに漢文?やらを音読していた記憶があります

私立の幼稚園に通っていたようです

 

幼少期:茨城

 

幼稚園の年小か年中頃に、父親の転勤で東京から茨城に引っ越してきました

この茨城で学生時代の大半を過ごすことになります

 

そして、途中で編入した幼稚園で、幼いながらにカルチャーショックを受けました

 

東京の幼稚園では漢文?やらを音読したりなんだか色々やっていたのですが、

茨城の幼稚園では、ひらがなカタカナの読み書き音読等をやっていました

 

え、こんなことしかやらないの?

というか、園児や先生の言葉遣い悪くない?

 

という驚きの記憶は今でも残っています笑

今でこそ、教育レベルや幼稚園にかかる費用の差なんだと思いますが、とても強烈な思い出です

 

あ、あと、幼稚園のころにとてもハマっていたことがウルトラマンティガです!

放送が終わったときに2週間近く元気が無く、とても落ち込んでいたそうです笑

 

小学校:茨城

 

すっかり茨城の環境になじんだ僕は、とても純粋なクソガキとして過ごしました

 

小学生当時にはやっていたアニメ「NARUTO」のキャラでカカシの技「千年殺し」を友達にかけあったり、「金色のガッシュ」のカードゲームしたり、空き地でエアガンの打ち合いしたりと、ごく普通の小学生でした

 

いや~懐かしいですね

「NARUTO」「デジモン」「スマブラ」「エアライド」とかとか、このあたりの世代です

 

個人的にはゲームの黄金時代だと思ってます

 

 

とまあ、何事も無く過ごしてましたが、高学年のときに事件は起こります(当時の感覚で)

 

1:花粉症になった!

これほんとめちゃくちゃ辛くないですか!?

なんかいきなり花粉症になったんですよ

これは僕の通っていた小学校の周りを囲っていた杉の木のせいですね絶対

 

2:理不尽な教育をされた

当時、友達と帰宅してたら、低学年の子が泣いてたんですね

でも僕らは早く遊びたかったのでスルーして帰ってしまったんです

 

そしたら後日、先生に友達全員が個別に呼び出されてこの日の事情聴取されました

当然なにもやっていないので、状況を話していたら突然先生にボコボコにされました

 

先生曰く、「お前がやったんだろ!嘘つくな!」と言われ訳もわからず、当時純粋だった僕はただ泣いてやってもいない罪を認めることしかできませんでした

 

そして、もう遅かったので全員先生の車で送ってもらいました

親に話され、それでも僕はやってないと講義し、友達とその親とで学校側に抗議しに行きました

 

結局、無実の罪で色々と申し訳ありませんでした謝ってもらいましたが、今でも鮮明に思い出せるくらい心には残っています

ひねくれはじめたのはこの頃かもしれません笑

 

とまあ、こんな感じです

 

中学校:茨城

 

中学生の頃は、まーそれは当たり障り無く過ごしましたね

 

というのも、学校はヤンキーの先輩が授業中に廊下をチャリで走ったり、体育館のガラスが割られたりとそれなりに荒れてた学校でした

 

こんな環境には絶対に馴染まない

 

そう強く誓って、勉強は上位をキープしていました

もちろんいじめられないように不良少年たちとも一定のコミュニケーションをとっていました

このころから他人とはそれなりの距離感を保つ術を学んだのかもしれません

 

結果、地域の中ではそれなりの進学校に進学しました

 

一応、部活も頑張っていましたよ

県北・県大会には出場できるくらいでしたけど

 

高校生:茨城

 

荒れてた中学から、落ち着いた進学校に進学した僕は、周囲の人間のレベルが一致していることに安心し調子に乗り始めます

 

勉強にほぼ力を入れなくなり、遊んでばっかりいました(健全な意味で)

 

一応部活は続けていたのですが、高2の時顧問に「やる気が無いなら辞めちまえ!」と言われてその場で辞めてしまいました

 

そこから堕落の一途を辿ります

学校の授業は寝ていませんでしたが、授業が終わったらすぐ帰って夜中の4時までMGOというゲームをしたりしていました

さらに、進学校なのに勉強を全くしなくなった僕は、赤点オンパレードで散々な成績を収めるようになります

 

そんな生活を送る中、高校3年の受験シーズンで例のブツに出会います

 

そう、iPhone のことです

 

高校3年の夏に僕は初めて iPhone4 を持ち、「これはすごい!今後iPhoneは世界を変える!」と確信し、将来はIT系に進もうと決意します

この頃、周りの人たちは誰もスマートフォンを持っていませんでした(茨城の田舎だったからということもあるかな笑)

 

そこから受験勉強はそこそこ頑張りましたが、受験は普通に失敗します

最後の滑り止め私立に通うことになったのですが、両親が高い学費を出してくれたことは感謝しています

 

大学生:神奈川

 

大学では一人暮らしを始めます

 

最高に自由な時間を過ごすようになった僕は、大学でできた友達とひたすら遊びまくる大学生活を送ってきました(ここも健全な意味で・・・)

 

ですが、貧乏学生をしていた僕はガリガリのもやしくんになってしまいました笑

 

ちなみに、この4年間は下記のように過ごしています

1~2年で単位のほとんどをとる

3年で学園祭実行委員会を猛烈に頑張り、就職活動を即効で切り上げる

4年は卒論はそこそこに、ハイパー遊びまくる

 

今思えばとてつもなくもったいない時間の過ごし方をしたと思いますが、当時の僕は情弱だったのでしょう

 

会社員

 

大学を卒業し、千葉にある実家に戻り、東京のとあるIT会社の社員になりました

 

入社当初は3ヶ月間の新人研修があり、社会人になった今現在と比較しても一番働いていました・・・

その時の最高残業時間は約80時間です

 

研修後は現場配属となり、某大手公共系システムの保守要員として案件に参画しました

 

そして、会社員時代の大半をこの現場で過ごすことになってしまいます

 

正直に言うと、この期間は無駄でしかありませんでした

自分のやりたい方向性と全く違うことを、仕事として、社員として取り組まなければならなかったからです

 

自分のやりたいことが一切できない

理想のキャリアを積むことができない

全然稼げない

 

などなど、強烈な焦りが襲ってきました

 

このままではいけない、自分から行動しなければ

 

と行動を始めて1年後に会社を退職し、フリーランスのITエンジニアとして独立します

 

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現在~未来

フリーランスとして、これからのこと

 

2017年12月31日で会社を退職し、2018年1月1日から個人事業主として独立しました

 

現在はフリーのWeb系エンジニアとして、ゲーム会社のエンジニアとして参画しています

 

僕が今後やりたいことや、なりたい理想像として

 

  • Web系エンジニアとしてキャリアを積み上げて生きたい
  • プログラマーとして開発に携わり、開発の実力を高めて生きたい
  • 個人事業主として、収入を複数持ちたい
  • やるからには稼ぎ、自由に生きたい

 

など自分の人生をコントロールしていきたいと思っています

 

 

今までの人生は、与えられた環境下の中で生きてきました

 

これからは自分で選択し、自分の選択に責任を持たなければいけません

 

やることなすことすべてが自分に返ってきます

 

こんな面白い世界があるなんて、やりがいがありますよね

 

今は思ったよりも不安感は無く、これからのことが楽しみでなりません

 

もちろん、今後どうなるかなんてわかりません

 

成功するかもしれないし、失敗するかもしれない

 

運もあるかもしれないけど、努力の方向性を間違えなければ自分の理想を実現できると確信しています

 

それなりに頑張ります

 

 

 

と言うわけで、今まで普通に生きてきた凡人の僕の人生を語ったわけですが、いかがでしたか?

本当に普通の人と言う感じだと思います

 

今後、僕がどうなっていくのか、そのとき思ったこととかはできるだけ残すようにしていくつもりです

 

このブログが僕の分身のようになってくれればいいですね

 

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