どうやら僕は人の思考に触れるのが好きらしい

 

 

ネットサーフィンをしているとあっという間に1日が過ぎ去ってしまいますよね。

 

 

特に、Twitter や ブログ、Webの記事とかを見ている時です。

 

あの時間があっという間に過ぎて行く感覚は、なんなんでしょう?

 

 

不思議ですよね〜。

 

 

 

まあとりあえず、 Twitter や ブログ を見ていると「こういう考えもあるのか」「なるほど、勉強になる」といった感じで、自分の世界が少し広くなった気がするんです。

 

それで、ふと思いました。

 

 

「僕って、人の思考に触れるのが好きかもしれないな」って。

 

 

 

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僕は小学生のころ、「プロジェクトX」という番組が好きだった

 

知ってる方いらっしゃいますかね?

 

プロジェクトX 挑戦者たち」の主題歌として、中島みゆきさんが歌う「地上の星」もいい曲でした。

 

 

どんなところが面白かった?と聞かれても、正直思い出せないんですが、とにかく好きでよく見ていた記憶はあります。

 

番組に登場する方々の様々な物語を見て、当時の僕は夢中になっていたのです。

 

 

 

もちろん、細かい内容や考察など当時小学生の僕には難しい内容だったかもしれません。

 

今でこそプロジェクトX」はドキュメンタリー番組で、物事に対して情熱を持つ人のすごさと、その人たちが成し遂げた物事のドラマに大して、面白さを感じていたんだと思うことが出来ます。

 

これがきっかけだと思うんですが、僕はドキュメンタリー番組を好きになりました。

 

 

 

今では「ガイアの夜明け」、「情熱大陸」、「プロフェッショナル 仕事の流儀」、「カンブリア宮殿」、「未来世紀ジパング~沸騰現場の経済学~」、「NHKスペシャル」など、これらの番組もとても面白いと思っています。

 

 

僕は普段テレビを見ないんですが、ドキュメンタリー番組は思わず見てしまう魅力があります。

 

 

僕が何故ドキュメンタリー番組を面白いと思うのか、それは登場人物の思考に触れることが出来ているからなのではないか?と思うようになりました。

 

 

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人の思考に触れることができるのは、その人が思考を言語化してくれたから

 

当たり前じゃん

 

って思いましたか?

 

けれど、その当たり前って、あなたの中での価値観かもしれませんよ?

 

 

 

実際に、思考を言語化するということは、想像以上に難しいものです。

 

普段から思考の言語化を行ってる人には簡単かもしれませんが、自分が当たり前と思ってることを相手に伝わる言葉にするということは、当たり前と思うまでに至った過程を相手に寄り添った言葉で説明する必要があるからです。

 

 

つまり、言語化をするには自分の中で理論付けが出来ていないといけないということになります。

 

 

 

僕の場合ですが、今あなたがご覧になっているこの記事も色々と考えながら書きました。

 

 

 

なんで僕は「人の思考に触れること」が好きなんだろうか。

 

 

今までの自分の中の当たり前を壊す出来事があった。

 

それを経験すると、自分の中の世界が広がる気がした。

 

世界が広がることが好きなのかもしれない。

 

世界の広がりとは何も物理的なものだけでなく、考えにも当てはまるかも。

 

じゃあ、その考えを広げるにはどうすればいいのか。

 

「いろんな人の思考に触れること」が、世界を広げることになるかもしれない。

 

 

 

という感じですかね。僕が人の思考に触れることが好きな理由は。

 

 

 

「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。」

 

というアインシュタインの言葉があります。

 

自分の世界を広げるには、言語化された人の思考に触れ、自分の中で受け入れることが必要なんでしょうね。

 

 

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人の思考に触れるときは、映像よりも文字の方が好き

 

これについては僕の好みの話なんですが、人の思考に触れるときは映像よりも圧倒的に文字の方が好きです。

 

文字の方が自分のペースで思考を深めることができるからですね。

 

もちろん、映像と文字ではそれぞれメリットデメリットがあると思います。

 

 

 

映像では、視覚からたくさんの情報を受け取ることができ、一方的にその世界に没入することが出来ます。

 

その世界のドラマに夢中になり、映像の展開と一緒に思考が進んで行く気がします。

 

「え?いまのどういうこと?」ってなったとき、気軽に元に戻れなかったりして、考えながら見るものではないようなイメージです。

 

 

 

一方文字では、読んだ文字を一旦自分の中で深めることが出来たり、逆に一気に読み進めることも出来ます。

 

「これはどういうことなんだろうか?」と、一旦立ち止まって、読んだ文字について自分の考えを展開したり、他の人の考えも調べたりして、思考を深めることが出来ます。

 

そして、読んだ文字が面白ければ、自分の思考を深める前に一気に読んでしまった後に、もう一度読み、改めて自分の思考を乗っけるなどができたりしますね。

 

 

つまり、自分のペースで文字を文字を追うことができ、それに応じて思考を深めることができるということです。

 

 

 

「思考の深さ」でググってみたら面白い記事があったので紹介します。

 

 

思考の幅、具体的には思考を言語化する能力は、普段僕たちが触れている活字の長さに比例すると思っています。

 

日常で触れる活字がTwitterの100字前後という人は、100字前後の思考になり、ブログが主な情報収集源という人は、1000〜2000字の思考を好んで使うようになります。

 

これがニュースサイトならば5000〜10000字、本になると数万文字。 逆に、LINEになると最大で数十文字の思考となるはずです。

 

日常でよく触れるメディアの文字数によって、その人の思考の長さが変わるとして、文字数が短い思考ほどアウトプットは早いというメリットがある一方で、文字が長い思考には、アウトプットが深いというメリットがあります。

 

 

 

なるほど、思考の深さは普段触れる文字数に比例するのか。と思いましたね。

 

確かに僕は普段、Twitter や ブログ、Web上の記事等で情報収集をしていて、それに慣れているような感じがあります。

 

 

 

思考に面白さを出すには、その人がどれだけ文字数の多い文字に触れ、自分の思考を深め、とりこんだ情報に自分らしさを乗っけることができるかということみたいです。

 

これには納得できます。

 

 

確かに、僕が面白いと思う文字は、その人らしさがしっかり出ている文字でした。

 

 

 

最後に

 

 

とまあ、なんやかんや書いてみたんですけど、僕は人の思考に触れることが好きで、考えることが好きってことなんですよね。

 

 

 

色々と理由を考えてみたんですけど、好きなら好き。それでいいじゃんって話でもあります笑

 

 

 

 

なんだか上手いことまとまらないですね~

 

 

 

 

ま、こんなもんで終わりです。

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